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[2019年3月27日(水曜日)/理事・服部 泰宏]

採用活動における「エピソード偏重」

就職活動(新卒採用活動)では、「大学時代の特筆すべき”達成”や”チャレンジ”のエピソード」が求められることが多いわけですが、これが学生たちを大いに混乱させている気がします。控えめに言っても、「混乱させていることが多い」と思います。

 

そもそも採用担当者は、なぜ、学生たちにエピソードを求めるのでしょうか。私の見るところ、少なくとも3つの用法がありそうです。

 

1つ目は、学生たちの「優秀さ」を判定する材料としての用法。エピソードの語り方、エピソード中に主人公として登場する学生自身の行動パターンなどから、その学生の能力や行動特性、あるいはその再現性を推測するというものです。これはエピソードの使い方として、かなり真っ当なものと言えます(これにも若干の問題はあるですが、ここでは触れないでおきます)。

 

2つ目は、「優秀さ」のシグナルとしての用法。「優秀さ」とは元来、目に見えにくいものです。そこで担当者としては、「留学経験」「起業経験」「国際ボランディア経験」といったエピソードを、優秀さのシグナルとして活用したくなるわけです。この時、本来ならば、「優秀な能力」ゆえに「起業という経験をしている」(優秀さ→エピソード)であるはずのところに、「起業という経験を語っている」がゆえに「優秀な能力を持っているはずだ」(エピソード→優秀さ)という論理の逆転が起こっているのです。1つ目の用法を志向していながら、実際にはこの用法が当人たちも気づかない間に紛れ込んでいるなんてことが、多々あるように思います。

 

そして3つ目は、「優秀さ」を正当化するためにエピソードを求めるという、ややトリッキーな用法です。たとえば採用担当者が、「高い課題設定力」と「主体性」という基準に関して、2人の学生を全く同じレベルで評価した場合を考えてみましょう。担当者としてはどちらか一人だけを最終候補者として上司に提案しなければならないのだが、片方の学生は学生時代に起業した経験があって、もう片方はそれがない・・・とします。この場合、担当者にとって、どちらの学生の方が最終候補者として提案しやすいか、どちらの学生の方が上司を説得しやすいか・・・・多くの人は、前者だと考えるでしょう。「この人は課題設定力があります、だってほら、起業経験があるし・・・」と言えるのですから。この用法にも、「学生が優秀だということを示したい」→「ゆえに優秀さを示すエピソードが欲しい」という、一種の論理の倒錯、そして社内説得の便宜にエピソードを重視するという「大人の事情」が混入しています。

 

問題は、本来の使い方であるはずの1つ目の用法が、2つ目や3つ目の用法へと、採用担当者の悪意なく、スライドすることが多々あるということです。その学生が「優秀」であることを、学生時代の「エピソード」を通じて明らかにしたい・・・という採用担当者の気持ちはよくわかります。個人の「優秀さ」は、その人の具体的な行動や態度の中でこそ発露するわけですから、「エピソード」を聞き出すことによってそれを探り出すということ自体は、論理的には間違っていません。ただしそこに「優秀さ」と「エピソード」の論理的な倒錯(2つ目の用法)や、「大人の事情(3つ目の用法)が入り込んだ瞬間、おかしなことが起こってしまうのです。優秀さを見極める(いろいろある中の、たった)1つのツールでしかないはずの「エピソード」が、分不相応にのさばって、採用活動が極端なエピソード偏重主義になっていくのだと思います。

 

これこそ、今、日本の大学生の多くを当惑させ、私の言葉でいうところの「エピソード・コンプレックス(他の学生よりも目立つエピソードがないことによってコンプレックスをもってしまう、あるいはそれを解消するために、「エピソードを作ること自体を目的として4年間を過ごしてしまうこと」)」の元凶となっているのではないかと思うのです。

 

改めて問います。そのエピソード、何に使いますか?

 

服部 泰宏

服部 泰宏

神戸大学大学院経営学研究科 准教授

神戸大学大学院経営学研究科 マネジメント・システム専攻 博士課程修了。日本企業における「組織と人の関わり合い」、日本のビジネス界における「知識の普及」に関する研究などに従事。2013年以降は、人材の採用に関する科学的アプローチである「採用学」の確立に向けた研究・教育活動に従事。
現在は北米、ASEAN企業の人材マネジメントの研究も行う。著書に「採用学」(新潮選書)など。

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